国連海洋法条約

一九七三年から八二年まで、第三次国連海洋法会議が開かれた。地中海の小島国家マルタ代表のパルト大使が六七年秋の国連総会でマンガン団塊など深海底の海洋資源の平和的な共同利用の必要を説いたのが、開催のきっかけとなった。

会議の準備段階から、公海における遠洋漁業国の漁獲の自由は、魚種の枯渇を招くばかりか、貧しい国より豊かな国により大きな利益を与えるものだとして、発展途上国を中心に批判が高まり、これが海洋法会議の大きな推進力となった。

会議は沿岸国と遠洋国の利害が錯綜し、領海の幅、二百カイリ経済水域の設定、漁業資源の保護などをめぐって意見の対立が続出、異例のマラソン会議となったが、最終的に参加国の妥協ができて、決着にこぎつけた。

国連海洋法条約は本文だけで三百二十条、九つの付属書を合わせれば全文四百四十五条にのぼる膨大なもの。既存の国際法規と新たに制
定または修正した国際法規の双方を含む、海に関する国際法の集大成といえる。規定により、六十力国が批准して一年後の九四年十一月に正式に発効した。

主な条項としては、領海の幅がある。五六年のジュネーブ条約では、領海の幅は末決定だったが、本条約では十二カイリの範囲内で各国が任意に決めることができるようになった。

また、ジュネーブ条約では領海に続く接続水域は距岸十二カイリとなっていたが、二十四カイリまでと拡張された。日本、米国、英国などの海洋国は領海幅が狭く、自由航行できる公海部分が多くなるため、伝統的に領海は三カイリと決めていたが、日本は七七年領海法で領海を十二カイリに拡大した。

オイル・ショックは再現するか

石油問題の理解にはふたつの要素を考えておく必要がある。第一は、米国の石油自国生産・輸入および代替エネルギー生産の分水嶺はバレルニ○ドル見当であること。

つまり暴騰せぬ限り、米国景況にはプラス面は多いが、輸入インフレなり景気頭打ちの要素ともなりうること。さらに米国はアラスカ原油を温存していること。ソ連の粗放的原油生産には米国の巨大コンピュータを駆使した探鉱・採油技術を必要としていること。

中東地域の生産・流通の鍵を握るペルシア湾のホルムズ海峡(北側イラン、南側はオマン領。出湾・人湾はすべてオマッ領海内を通り、海峡幅は五〇キロであるが、各二海里の幅で入出各航路および分離帯が設置され、タンカーはその110キロの帯を航海する。世界最大の戦略的石油ルート。

蛇足ながら、分離帯上には常時、ソ連太平洋艦隊所属のグリヴ″タⅡ級ミサイル駆逐艦が漂泊している)は常に全世界の注視を浴びている。近年、湾岸諸国の陸送パイプライン設置、消費国側の備蓄の強化、省エネ体制強化、代替于不ルギー開発の即応力拡充、湾岸以外のOPEC・非OPEC諸国の増産余力などで、たとえ一時的に同海峡が封鎖されてもいちおうの耐久力はできている。

しかしそれも長期化すれば石油高騰は不可避であるし、逆オイルーショック後雌伏していたOPECの石油戦略再現を誘発する恐れがある。石油専門家は九〇年代後半には再び石油危機の突発をほぼ一致して予期している。また陸上よりも海底油田開発に今後の期待が集中し、水深二〇〇メートルまでなら一兆五、〇〇〇億バレル、沿岸より四〇マイル以内なら一兆三、五〇〇億バレルの埋蔵量推計がなされている。以上のことなどは基本的事実として知っておいてよいことであろう。

自民党幹事長も「海外派兵」と認識

はっきりしているのは、首相の考える「国際社会における名誉ある地位」とは、「テロとの終わりなき戦い」にこぶしを振りあげるブッシュ政権に軍事的支援を行うということである。爆撃の的にされたひとびと、テロとはなんの関係のないアフガニスタンに住む非戦闘員は視野にはいっていない。フランスやドイツがアメリカ政府にただしたのは、この点であった。しかし、小泉首相の念頭には、「名誉ある地位」が自衛隊派遣でない別の方法でもありうるのではないか、という発想は浮かんでいない。

このように憲法を自説に都合よく引用しながら「テロ対策特別措置法」は国会に上程された。「特措法」成立を受け、インド洋に派遣された自衛隊の補給艦はアフガニスタン全土を爆撃する米空母や艦載機への燃料補給任務につく。二年間の時限法は三度にわたり延長され、恒久法の性格を帯びる。ここにおいて自衛隊の海外活動は、それまでとまったく異なる次元に入つたといえる。この間、インド洋における海自補給活動により米軍に無償で供給された燃料は二〇〇七年五月一七日現在で艦船用四八万キロリットル(約二一四億円)、艦船搭載ヘリコプター用燃料約九〇〇キロリットル(約五一五〇万円)にのぼった(もちろん、国民の税金である)。

ことのついでに、小泉首相憲法観を、もう少しみておくと、(9・11事件のあと)安全なところはなくなった。自衛隊は危険なところに出しちゃいかんでは話にならない。危険が伴っても自衛隊に貢献してもらう。日本の持てる力をどう活用できるか。出し惜しみはしない。この問題は、集団的自衛権とは別の問題だ。」(ワシントンでの記者懇談、二〇〇一年九月一面「(武器使用基準)そこは常識でやりましょう。ある程度、現場の指揮官に判断で出来るのではないか。遠くにいる人に機関銃使えだの、拳銃使えだの言えない。臨機応変というのがあるでしょう。」(衆議院テロ対策特別委員会、二〇〇一年一〇月二日)

「わが国は、従来から一貫して、適切な規模の防衛力と日米安保体制の堅持を国防の二本柱としてまいりました。わが国の安全と繁栄を確保するためには、これらの二本柱に加え、国際協調が不可欠であります。(9・11事件以降)わが国は、インド洋方面に艦船を派遣して支援業務に当たるなど、テロ防止のために世界とともに闘っています。テロとの闘いは、国民の安全を確保するためのわが国自身の問題として、今後とも、憲法の下で、主体的な取り組みを続ける必要があります。」(防衛大卒業式での訓示、二〇〇二年三月二四日)国会答弁でも「憲法前文と九条にはすき間がある」とか「常識的に自衛隊に戦力があると考えるのは、一般国民の考えだ」と述べている。これほど自由奔放に、また公式見解を飛びこえて「憲法と戦争」を語った総理大臣はいない。

インド洋での支援活動がつづく二〇〇三年三月二八日、次の記事が『朝日新聞』に掲載された。一段見出し、べ夕扱いである。「山崎拓自民党幹事長は二七日、テロ対策特措法に基づき、アフガニスタンの米軍支援のため自衛隊を派遣していることについて、「画期的前進だった。それまで海外派兵は認めたことはなかったが、あれは戦時下だから、海外派兵の範啼に入る初めてのケースだ」と述べ、海外派兵にあたるとの認識を示した。党本部で記者団に語った。」ここに明らかなとおり、自民党幹事長は、インド洋派遣を「海外派兵」と受けとめた。そのうえで容認したのである。そこでは「集団的自衛権行使は、憲法上禁止されている」とする政府見解さえ公然と踏み破られている。

現代社会の倫理観

少なくとも、証拠を出し惜しみする被告に対して裁判官は、「好ましくはないけれども、仕方がないな」と思うだけ、それだけです。証拠を積極的に出さないからといって、それだけを理由に敗訴させてしまうほど感情的ではないことを、裁判官は自ら誇りに思っているふしさえあります。

それが裁判官の「冷静さ」であり「良心」であるということなのでしょう。結果として、真実がまったく明らかにならないまま、いろんなケースで個々人が救済されなかったということがあったとしても、別に世の中の大勢に影響はありません。

しかし、そういうことが積み重なれば、時代の倫理観や社会の雰囲気に影響をもたらしてしまう。それが今の日本の問題ではないのでしょうか。日本でも、そういう立証の難しさの問題を解決しようと、いろいろと検討されてきました。

法律家がみんな怠けていたわけではありません。一部の先進的な人々が様々な理屈を考えています。例えば「立証責任の転換」などという、一見画期的に見えるような理論があります。これは、立証する負担を相手側に逆転させることで、証拠をあまり持っていない被害者らを助けてやろうという考え方です。

原告が被告に対して何らかの賠償請求をするときに、その請求が認められるためには、仮にABCという三つの事実を立証しなければならないとしましょう。その場合、原告がABCの全部を把握できればいいのですが、実際には、原告はそんなに証拠を持っていません。

むしろ、それらの証拠は被告がすべて持っている場合もあります。これを放っておくと、被告は不利なものを出さないで、自分に都合のいい証拠だけを出してきます。

マイクロエレクトロニクス技術革新

生産現場だけでなく事務部門にまで及びはじめたマイクロエレクトロニクス技術革新が雇用機会を奪うのではないか、日本企業の海外への進出による「空洞化」が、国内の雇用情勢を深刻化するのではないかといった点も大いに心配された。労働組合が、賃上げより雇用機会の確保をという意識を強めてきたのもこの頃からであった。また、マクロではある程度の雇用のレベルを維持できたとしても、ミクロのレベルでは労働力の需要と供給がすれ違うという、いわゆる「ミスマッチ」論もさかんに主張された。

その第一は、若年層と中高年層とのミスマッチである。日本は急速に高齢化社会に移行していくことが確実であることを考えると、もともと中高年層の雇用情勢が厳しいものとなることは予想されていたが、円高不況の中で、企業は中高年層をターゲットに雇用調整を始めたので、年齢別のミスマッチ現象はさらに目立つことになった。

第二は、都市部と地方との地域別にみたミスマッチである。地方では輸出型産業の生産が落ち込み、公共投資も抑制されていたから、都市部に比べて雇用情勢が悪化した。

第三は、産業別のミスマッチである。産業構造の変化により、造船、繊維などの「構造不況」産業では余剰労働力が発生する一方、サービス産業では雇用機会が拡大するといった動きが現われる。87年版の「労働白書」は、93年までに予想される経済構造の変化を達成するためには、第二次産業から二百万人以上が流出し、第三次産業に二百万人以上が流入する必要があると推計した。

第四は、職種別のミスマッチである。とくに、コンピュータ、情報、ハイテク関係の専門的職業分野で雇用機会が増大しても、職種転換はそれほど簡単ではないため、ミスマッチが目立つことになったのである。

こうして雇用について悲観的な見方が強まったのは、基本的にはすべて円高が原因であった。円高に対して企業は設備・雇用の調整による合理化にとり組んだ。その影響は相対的に労働コストの高い中高年層を中心に現われた。円高は産業構造を大きく変化させ、輸出依存度の高い素材型産業が立地する地域の雇用がとくに打撃を受けた。

産業構造の変化は労働需要の中味にも影響を与え、職種別のミスマッチが強まった、という具合である。しかし、これは日本経済が円高にまだ適応できない間に生じたことであり、その後、円高への適応が急速に進むにつれて、悲観的な見方は大きく変化することになる。

アメリカの正義には限界がある

〈僕には、例え中枢が消滅しても、なお局部局部、個人個人が最も頑強に抵抗するのは、新鋭溌刺としたアメリカ人のように思われる。各人がそれぞれの自覚と自信を胸中に抱いていて、最も屈服させ難いように考える。これは単なる知識の意味ではない。学校も家庭も社会もひっくるめた教育の意味である〉アメリカは強い。強さの根源は物量よりも「民主主義」にある。山田青年は、つづける。〈しかし、例えそうだとしても、アメリカ人には致命的な弱点がある。それは彼らの戦争目的がぜいたくなことである。彼は世界の警察権を掌握して、彼らのいわゆる「正義Lを四海に布こうとしている。一国家の官言する正義なるものが果して存在するか否かは別として、国家の信奉する正義は個人の信奉する正義よりも脆弱なものであることは確かである。少くともアメリカの正義には限界がある。

然らば、彼らは無際限の殺戮戦に耐えられようか。すでに彼らは領土に日没するところなき富裕を愉しみつつ、さらにそれ以上の全世界の警察権掌握のために、無限の血を流しつづけることを、国民のすべてが了承するであろうか。それはあまりに思い上った、ぜいたくの沙汰ではないか〉まさに歴史は、五十六年前の敗戦前日、二十三歳の山田青年が洞察したごとく展開した。世界貿易センターの二棟の超高層ビルが崩壊するのをテレビ画面で目のあたりにしたとき、ふと口をついた言葉は『原爆』であった。それは不条理な大量殺戮の象徴として私の内部にあったのである。あのとき世界貿易センターにいた七千人は、誰も自分がほとんど瞬時に死ぬことになろうとは思っていなかった。それは、広島とおなじである。その惨状が外郎からはにわかにうかがい知れないのも同様だ。

そうして現在を平時と認識していたのはアメリカ人や日本人であって、イスラム過激派のテロリストはそうではなかった。彼らにとって今日はまぎれもなく戦時であった。〈噂によれば、敵の来れるはただ】機ただ}発なり。しかも広島の三里四方生きとし生けるものすべて全滅する(『戦中派不戦日記』のうち一九四五年八月十一日)しかし、双方ともに認める戦時ではあっても、原爆はないだろう。東京大空襲のごとき無差別殺戮とともに人倫にもとると私は思う。間もなく六十年の歳月が過ぎる。いまさら咎め立てても詮ない。しかしいまでもアメリカ国民の半数以上が、戦争の早期終結のための原爆使用は妥当であったと考えている、などという世論調査に接すると、あの国の「正義」とは何なのかわからなくなることがある。今回のテロ事件の悲惨さはまさに目をおおうぽかりだが、原爆を落とされるとはこういうことなのだといいたい気分がする。

苦笑を禁じ得ないのは北朝鮮の反応だ。平壌放送でテロを非難したが、哀しい滑稽さを感じる。彼らはこれまで何度テロをしてきたことだろう。ところで一九四五年十月、アメリカの占領政策は成功しつつあった。アメリカ兵はおおむね行状よろしく、日本人に恐れられてはいない。物量不足とインフレの多忙さのなかで、「軍備なき平和国家」という言葉が世上に流行する。山田風太郎はその風潮を「日本人特有の言葉に於ける溺死ともいうべき思考法」と批評する。その十九日の日記へ実際世間とは馬鹿なものである。相当なインテリまでが、アメリカによる強制的運命に置かれている現実をけろりと忘れた顔で、大まじめに論じている。

「そのアメリカは軍備をいよいよ拡大しつつあるではないか」こう問いかけるわれわれに根拠のある返答の出来る人がどれだけあるだろう。神兵だの神話創造など、戦争中無意味な造語や屁理屈的論理を喋々した連中にかぎって、今度は澄まして、しかも頗る悲劇的な顔つきをしてみせて、幼児のごとき平和論をわれわれに強制している〉一九九〇年代を「失われた十年」といいならわしているようだが、むしろ私は敗戦以来の「失われた五十六年」を思うのである。「昭和二十年以前の『歳月と教育』の恐ろしさもさることながら、それ以後の『歳月と教育』の恐ろしさよ」(同あとがき)と語る山田風太郎の言葉は痛く耳に刺さる。うつろな平和論が幅をきかせている間に、世界は刻々と殺伐の度合を増している。今後私たちは、飛行機の乗客としてかりにハイジャックにあったとしたら、少なくとも五割の確率で死を覚悟しなければならないだろう。人間の命は地球よりはるかに軽い、それだけがいまやたしかなことである。山田風太郎は1ヵ月半足らずの違いで、世界の救い難い混沌への序曲を見ずに済んだ。

自分だけの経験を求めて

テレビのゲームショーやビデオゲーム、それにインターネット喫茶もある、この”ダミングーダウン”の時代にあって、なぜ多くのイギリス人や観光客が、このようなフェスティバルに行くのだろうか。一つの答えは、このような時代そのものに対する反動ではないかと思う。つまり、人々はテレビ・新聞での報道や情報だけでは満足できないので、それ以上の情報を得る方法を求めており、そこで新しい考えや書籍に興味を示すようになっているのだ。

もう一つ考えられるのは、”ダミングーダウン”の傾向にもかかわらず、テレビが多くの著者を有名人に仕立てたことである。歴史家、園芸家、料理人、それに哲学者でさえも、以前に比べて有名になるチャンスに恵まれている。そのため、人々は彼らを実際に見て、生の声を聞きたがっているのだ。一部の人たちは、映画愛好者が自分の好きな映画スターを、町で見かけるのと同じ気持ちになる。スターをスクリーンで見るチャンスはいつでもあるが、じかに見るというのは、めったにない、何か特別なことなのだ。

何か特別なもの、つまりフェスティバルの参加者が求めているものの本質が、そこにあると思う。情報過多の時代にあって、彼らは極トのもので、通常経験できないような何かを欲している。ありきたりでなく、自分しか経験できないことを、なんらかの方法で求めているのだ。周りの友人たちは、テレビの料理番組や歴史ドキュメンタリーを見ているだけだが、フェスティバルの参加者は、その作者と実際に会い、おそらく質問までしているに違いない。

これが最大の理由ではないだろうか。そこで、いろいろな都市や町は、このような文化的なフェスティバルを開けば、比較的裕福な訪問客を呼べると考えるようになった。彼らはその町の店やホテル、あるいはレストランでたくさんのお金を使ってくれるのだ。これ以外にも、世界中のメディアや、文化の進歩について、その傾向がよりよく理解できる、もっと一般的な理由があると思う。

それは、マスメディアが、高い視聴率を得るために水準を落としていた半面、教育水準が事実上、全般的に向上してきたことである。世界中で、若者は以前にも増して大学や専門学校に進学しているのだ。現今の世代は、私のように一九七〇年代のほか、一九五〇年代や六〇年代に成年を迎えた世代よりも、ずっと多くの青年が大学に進学している。その結果、以前より多くの書籍が購入され、読まれている。本はより多くの人にとって、かつてないほど重要な存在となっているのだ。