真相究明に費やす時間

改革審が、今までの日本にはなかった「国民が司法に参加する制度」、後に説明する「裁判員制度」構想を打ち出したことから、一応そうした制度の導入に向けて現実の政治は動きつつあります。その意味で、とにかく、これらの動きは評価すべきで、チャンスでしょう。

しかし、国民の司法参加が刑事裁判に限られるとすれば、それは一種の茶番ともいうべき帰結にすぎません。あくまでも、前章までに述べてきたどうしようもない司法システムにカツを入れることが必要であり、そのために、本来の筋としては、国民の司法参加は民事裁判の領域においてこそやるべきです。

すなわち、今、切実に求められている「国民の司法参加」は、刑事裁判などではなくて、民事裁判の領域における陪審制を中心とする抜本的な司法改革でしょう。その理由をもう少し詳しく述べましょう。裁判手続を裁判官だけに任せずに、国民も参加する手続(陪審制)にしますと、民事裁判が分かりやすくなるだけでなく、裁判が迅速になります。

さらには、国民が参加することによって、真相究明が進むような手続を作らなければならなくなるため、これまでのような、証拠が出てこなかったり、乏しい証拠だけで裁判官にゲタをあずけたりするようなことはなくなります。それらの要請に応えるものとして、アメリカで盛んな陪審制を参考にすることが考えられます。