年金の財政方式

年金の財源は、すでにみたように保険料に国庫負担が加わったものである。この財源から給付費を支出するわけであるが、年金制度は永い将来にわたって支給をつづけなければならない。この給付費のために、将来を考慮して財政運営がはかられていく。そこでどのような財政方式をとるかが問題になり、大きくわけて「賦課式」と「積立式」の二つの財政方式がある。

賦課式とは、その年に必要な年金の給付費を、その年の保険料(と日本の場合には国庫補助)でまかなう方式である。したがって、原則として積立金は生じない。日本では恩給、福祉年金などがその例である。この方法では、現役の働く世代の納付する保険料が、退職した老年世代の給付に即座にまわされる。したがって現役世代の保険料の高さは、その時々の一人当たり年金給付水準と、年金受給者数(厳密に言えば退職世代と現役世代との数のバランス)によって定まる。

そのため、もし年金制度が、初めのうちは受給者が少なく、徐々に増大してゆくような設計であると、あるいは高齢化の進展が急速であると、たとえ一人当たり年金給付水準が同じであっても、後代の現役世代ほど保険料負担は重くなる。反面、賃金や物価の上昇があっても、給与比例の保険料であれば、年金給付の価値が維持しやすい。しかし積立金とその運用益からなる準備金を持だないために、年金財政はその時々の人口の年齢構成、政治・経済状況の影響を強く受ける。

積立式とは人々が現役時代から、将来における自分の年金受給のため、保険料を毎年納め、長年にわたり財源を積み立てて行く方式である。この方式に従えば、はじめのうちは受給者が少ないわりに保険料納入者が多い。しかし将来の受給者数の増大に備え、最初から保険料を高めに設定しておく(平準保険料)。このような高めの保険料と、相対的に多数の保険料納入者のために、当初は保険料収入が給付費を大幅に上まわり、かなりの積立金を残す。しかも積立金は運用利子を生むから、それらを将来の時点で年金給付費にあてることができ、その分、予想外の受給者増にともなう保険料負担の上昇を緩和できる。

しかし、積立式にとって、こわいのはインフレである。運用の利率よりもインフレ率が高ければ、積立金は目べりしていく。かつて石油ショック当時、十数%のインフレ率となり、積立金の目べりが心配されたことがあった。厚生年金の積立金は、一九九〇年三月末で約七〇兆円、国民年金の積立金は約三兆円であった。この年金積立金は大蔵省の資金運用部に預託され、郵便貯金などの積立金とともに、国の財政投融資計画の一環として運用されている。

ヨーロッパでは大幅に人口が減っていく

18世紀に産業革命が始まってからヨーロッパは世界のトップとして君臨し、20世紀もアメリカと並んで世界をリードしてきた。しかし、とうとうヨーロッパの時代が終わりに近づいたということである。私は中長期的に見てヨーロッパの状況はアメリカよりも一段と厳しいと考えている。それは以下のような理由による。一つには、ヨーロッパでは、個々の国・地域の歴史や伝統が維持されていることだ。地域の独自性を尊重してきたことによって、国・地域ごとの独自の文化が発展してきたし、経済システムにもそれが反映してきた。

機械を作るのが得意なドイツ、デザインに優れたイタリア、メディアやサービス業に強みのあるイギリスといった「分業体制」はヨーロッパならではのものである。しかし、それは一方で効率の悪さや変革の欠如という問題を生み出した。逆にアメリカのようにヨーイードンーで競争させると、どこでも金太郎あめみたいになってしまうという恐れはあるが、効率は上がる。この点でヨーロッパをアメリカに少しでも近づけよう、というのがヨーロッパの通貨統合であり、ヨーロッパ統一への動きであった。しかし現実にはそれぞれの国の思惑が強く出てしまい、一体となって行動するという理想にはなかなか到達しない。

「みんな一緒に行動しない」ところこそがヨーロッパ的であるのだし、それがまたヨーロッパの限界であるとも言える。そこが難しい。二つ目に、ヨーロッパでは人ロが高齢化し、減少傾向にある、ということがある。世界の国々の、年齢の中央値(メジアン)の統計を見てみよう。小国のモナコの中央値が48・9歳というのを別にすると、日本の44・6歳が世界最高だ。しかし、そのすぐ次にイタリアの44・3歳、ドイツ43・7歳が続いている。ギリシヤ、スペイン、スイス、オランダといった国の中央値も軒並み40歳を超えている。

これには平均寿命が長いという要因もあるので注意が必要であるが、今後、ヨーロッパでは大幅に人口が減っていくことはほぼ間違いないと思われる。高齢化が進むと社会全体の活力が失われ、変革する能力も下がっていく。そこで移民の受け入れ、ということになる。しかし、ヨーロッパでは文化伝統の力が強いこともあり、移民は宗教や文化、そのほかのさまざまなあつれきを生んでいる。かといって手をこまぬいていては先細りとなってしまう。そこで各国政府は苦心をして乗り切ろうとしている状況だ。この辺は移民のパワーをうまく生かしているアメリカから学ぶところが多いだろう。

ちなみにアメリカの年齢の中央値は36・8歳で、中国は35・2歳、インドは25・9歳である。平均年齢は将来性を見るときの一つのバロメーターになる。三つ目には、科学技術の進歩によって、経済の世界は「一人勝ち」が支配する度合いが高まってきた、ということがある。グローバルな市場で商品が短期間に世界中に広がっていくので、中途半端なものでは消費者が買ってくれなくなった。今はナンバーワンにならないと競争に勝ち残れない状況である。アメリカにはアップルやハーバード大学やコカーコーラが、中国には安価で大量で質の高い労働力と圧倒的なポテンシャルがある。ではヨーロッパには何かあるだろうか?

ギリシャがデフォルトしないとしたら

それはギリシャの借金がそれほど大きくないためだ。ギリシャがデフォルトすると、ドイツとフランスを中心とする銀行が泣くことになるが、先ほども書いたように、たとえ銀行が厳しい状況になったとしても、ドイツやフランスの政府には銀行を支援するだけの十分な資力があるので問題なく対応できるはずだ。リーマンーブラザーズの破たんが世界を震憾させ、世界中が不景気に陥ったではないか、ギリシャだって、同様なことが起きるのではないか。そう考える向きもあるだろう。しかしリーマンがあれだけ世界中に大きな影響を与えたのは、世界中に複雑に広がるデリバティブ取引において、リーマンがその数多くの取引の相手方となっていたためだ。

当時、デリバティブの実態がなかなか外に見えないので、世界の金融関係者は最悪を想定せざるを得ない状況に陥った。これがりIマンーショック直後に混乱が起きた要因の一つだ。しかし、ギリシャがデフォルトしても、そういう複雑な問題が起きる可能性はほとんどない。ギリシャ自身にとってデフォルトが与える最大の問題は、いったんデフォルトしたら国際社会での信用がガタ落ちしてしまう、ということである。借金を返さないのだから当然と言える。ギリシャには、ほかの国は(少なくとも当面は)新規の貸し出しをしてくれなくなる。ギリシャ経済は短期的には大打撃を受けるに違いない。しかし、過去の負の遺産が消える方がメリットは大きいことは、先はどの例でも明らかだろう。

それと、もう一つ考えなければいけないのは、ギリシャがユーロを離脱する、という可能性だ。ギリシャがユーロを使うのをやめて、別の通貨、例えば新ドラクマを使用することはありえるだろうか。これはデフォルトを前提にすれば当然の流れである。ではデフォルトをしなくてもユーロから別の通貨に変えることは可能だろうか。これについてはVariant Perceptionのレポート「ユーロ分裂入門」に興味深い記述がある。「ヨーロッパの国の借金のほとんどすべてはその国の法律に依っている。そのため、各国はユーロから脱退し、国債を自国通貨建てに変えることが可能だ(中略)ギリシャ国債の94パーセントまでがギリシヤの法律に基づいて発行されている。そのため、これらの国債は新ドラクマ建てに変えることができる」

つまり、自国の法律に基づいて発行されているのだから、自分で変えることができる、ということだ。ギリシャは自分の一存で国債をユーロ建てから新ドラクマ建てに変えられる。これは借り手であるギリシヤに有利な要素だ。ユーロ離脱への道も開ける。ただし、ギリシャがユーロを離脱すると、通貨の価値が下がり、ギリシヤ国民の預金が大きく目減りしてしまう。これがユーロ離脱の大きなマイナス点だ。アルゼンチン(2001年)でも、このために国民がデモを行ったそうだ。これを防ぐには国民が金でも買っておく必要があるかもしれない。ということで、さまざまな問題はあるものの、ギリシヤは結局デフォルトしてユーロを離脱するのが理にかなっているし、結局はそうなると思う。

では、ギリシャがデフォルトせずに、ずっとこのまま走っていったらどうなるだろうか?その場合は今のような状況が今後も続いていくということになる。すなわちギリシャは、倹約に努め、それによって財政の立て直しを図る。一方、貸し手の側のドイツやフランスはギリシャがきちんと返済していけるように厳しい条件をつける。他方、ドイツやフランスは、貸し手である銀行たちにできるだけ譲歩させて、債権放棄などを行わせる。2011年10月には民間の貸し手に「自発的に」50パーセントの債権をカットすることを受諾させた(自発的な債権放棄ということであれば「貸し倒れ」ということにならないため)。

組織内反対派は暴力的に排除される

ばかの労組でのように、ガンバローと叫ばないのが、日産労組たるゆえんである。八二年の記念総会で特筆すべきことは、塩路会長が、「文化論」を開陳したことである。「労働運動は文化を創造している。そして労使関係もまた文化の創造だと思うのであります」と彼は力説した。「日産には日産固有の文化がある。日産の歴史は、二八年問にわたる労使関係によって発展してきた。自動車労連の仲間と、その経営側との間でっづってきた労使関係の丈化によっていろどられてきたと思う。

文化は一朝一タによってできるものではない。日産が二一世紀に生き残り発展していくためには、日産固有の文化のレベルを上げていかなければならない。それは労使関係の近代化ということである。その、みんなでつくってきた日産文化を、もし破壊しようとするものがあれば、徹底的に闘わざるを得ない」労使融合から生まれた文化。それを破壊するものとは徹底的に闘う。彼はそうブチあげたのだった。さいきん強まってきた石原社長との抗争を意識してのことかもしれない。団結は必要以上に誇示され、組織内反対派は暴力的に排除される。

日産文化のもっともユニークな点け、役員選挙の一枚岩である。有権者と有効投票数と当選者の得票数は、まるで手品のように、いつも同数であることに、その文化の誇り高さがある。有権者がいないこと、そして対立候補者がいないことにある。一種の翼賛選挙である。おそらく、これほどまでの団結力を誇示できる組織は、史上なかったにちがいない。嘉山さんは、「オレは棄権だ」といったことがある。すると組合役員は、気色ばんで詰めよってきたのだった。

「ほう、それじゃ、組合をやめるんだな。会社もやめるんだな」ユニオンショップ制だから、組合員資格がなくなれば、自動的に解雇となる。クビにしようと思えば、組合を除名すればいい。下請の厚木部品で組合反対派にたいする報復はその手を使ったのだった。投票所にはいると、記名するテーブルの前には、職制が腕組みして坐っている。入っていくと、「ハイ、ご苦労さん」とやさしく声をかけられる。テーブルには、定員分の候補者の名簿が張りつけられてあるから、それを書きうつせばいいだけである。面倒くさそうにしていると、「苗字だけでいいよ、苗字だけ」とアドバイスしてくる。

嘉山さんは、かつて、選管にこういったことがある。「国政選挙の投票所だって、ちゃんと衝立てがあるんだから、組合もそれでやってみたらどうですか」すると、選管は目を丸くしていった。「お前、そんなことやったら、なに書かれるかわからんよ」また、あるとき、「オレひとりぐらい、キケンしたっていいじゃないか」といった。すると、彼は、つぎのようにさとされた。「喜山クン。こういう組織はな、ひとりでも反対すると、ちっちゃな穴があいて、それがだんだん大きくなってしまうもんだよ。組織ってのは、そんなものなんだよ」日産労組得意の「シロアリ論」であり、日産文化のアキレス腱である。

基地汚染の責任はどこに

一部の県出身国会議員をけじめ、政府関係者の協力を得て、あらゆる努力をした結果、翌九五年の五月、ついに議員立法によって「沖縄県における駐留軍用地の返還に伴う特別措置に関する法律」を成立させることができた。この法律によって、それまで三ヵ月程度の補償措置しかなかったものが、返還後玉二年間を限度に上地料相当分か補償されることになった。私たちが要求したのは、七年間の補償だったが、それは政府・与党の拒否にあった。それでも基地返還後の受け皿の整備としては大きな前進だった。

一九九〇年に知事に就任して以来ご問題の解決を米国政府・議会・軍部の要路に要請してきた。最後の訪米では、それまで六度にわたる要請行動の結果、米国内に沖縄の立場を理解してくれる人たちが急速に増えているのがよくわかった。とりわけ、九五年に起きた「少女暴行事件」の後は、支援者が目立って増えていった。

九八年五月、私は七度目の訪米をした。この時の訪米では、とくに普天間飛行場の早期返還と海兵隊の削減を強く訴えたが、それとは別に、米国内の返還された基地跡地の視察に重点を置いた。返還跡地の環境問題が、かつてなく深刻になっていると聞いていたからだ。カリフォルニア州ロサンゼルス近郊のマーチ空軍基地とノートン空軍基地の二ヵ所を見て回った後、連邦政府の環境担当者から、環境汚染についてたっぷり時間をとって説明を受けた。そのうえで、サンフランシスコのフォートーメイスンとプレシディオの陸軍基地跡地を視察してみて、環境汚染問題があまりにも深刻なのを知って、私はひどくショックを受けた。

米政府の環境専門家の説明によると、アメリカ国内の返還された三五ヵ所の基地跡地で環境調査をしたところ、すべての基地跡地が汚染されていることがわかったという。とりわけ滑走路の跡地は、必ずといっていいほど、PCB(ポリ塩化ビフェニール)やオイル類などによって地中深くまで汚染されていろとの話だった(米国防総省は、九六年に、閉鎖した軍用施設七六〇〇ヵ所を調査したが、一八〇〇ヵ所で汚染していたと発表している)。

ノートン空軍基地の跡地では、地下九〇メートルまで掘り下げて地下水を汲み上げ、機器を二四時間フル稼動させて浄化したうえで、別のところから水を流し込むという方法で、地下水を入れ替えているのをじかに目撃することができた。こうした浄化作業は、近年になって環境汚染の人間への悪影響が明らかになったため、ようやく本格化したとのこと。しかも、汚染地域を浄化するには、気が遠くなるほどの巨額の資金と長い年月を要するだけでなく、実際に人が住めるようにするためにはより膨大な資金がかがるため、人が居住しない地域の浄化作業は、ほどほどにして、人が居住するところに限って、徹底的に浄化するというのが実情であった。

残存能力の開発

これらのことから、これからは、地域の住民は、自分の老化に対応した施設を選んで、より快適な生活を送ることができるようになる(在宅も含めて)。これによって、ひとつは市町村間の差が歴然となる。すでに一部では住民票を施設が整備されている市町村に移した人も出ている。市町村がそれぞれに、いい意味で競争するようになるだろう。

このように地域の背景が変わることによって、老人たちは、どのように考えていくことが必要なのだろうか。もっとも必要なことは、老人の一人一人が、QOL(クオリティ・オブーライフ=生活の質)を高める、つまり、できるだけ生きがいを満足させることができる生活を求める必要がある。誰でも年を取れば、心身の機能が衰えるし、ときに成人病に襲われることもある。

しかも、これは人によって千差万別である。八〇歳をすぎても頭脳の明晰な人もいるかと思えば、四〇代の後半でアルッハイマー型痴呆になる人もある。八〇歳で登山を続けている健脚の持ち主もいるが、五〇歳代で歩行困難になる人もいるといった具合である。それはそれで仕方のないことで、いたずらに恨んでみてもどうにもならない。現実は現実として受け止める以外に方法はない。

もっとも必要なことは、年を取れば「残存能力をどう開発して社会に適応させるか」を一人一人が考えねばならない点だ。「どこか調子が悪いから病院に行けばなおるだろう」と思っている老人が多いが、そういうものではない。きびしくいえば、人間は多くの場合、徐々に老化が進行して、それによって死ぬか、さもなければ、いわゆる成人病で命を落とすことが多い(まれに事故もある)。しかも、いつ死ぬのかは誰にもわからない。ガンの末期でも余命の期間は、なかなか予測できないものなのである。

私たち人間は残された日々を満足をもってすごすことに第一の目標を置くべきだと思う。そして、そのためには地域にあるどういう施設やシステムを利用するかを、市町村や各施設のアドバイスを得ながら、うまく生きていくのが必要だと思う。

銀行株暴落の背景

当局は九二年四月の時点で、二つの重大な判断ミスを犯してしまった。第一のミスは景気に関してである。日本経済は後退局面に転じて一年間以上も経過しているにもかかわらず、どこに不況があるのかといわんばかりのスタンスを取り続けた。これでは、効果的な景気対策が早期に打ち出されることは期待すべくもなかった。事実、九二年三月に今次の大不況下で初めて打ち出された景気対策は、その内容において実に貧弱なものでしかなかった。

第二の判断ミスは金融システムにかかおるものである。九二年四月九日の銀行株を中心とした急落の後、大蔵省は金融システムが真性の危機的状況下にあることを見事に証明したのである。このようなことは、大蔵省としてはまったく意図したことではなかったし、不本意なことであったに違いない。しかし、金融機関に関する市場の不安心理があながち誤ったものではないことを自ら証明してしまった。

銀行株暴落の背景にあった理由は、歴史的なバブルの崩壊過程で、悪くすると金融機関が経営難に追い込まれるのではないかとの不安感であった。また金融機関の経営悪化が金融システム全体に悪影響を及ぼすリスクすら懸念されだしたのである。『バロソズ』が九二年四月六日号で展開した日本株大暴落説の基本的背景も、わが国の金融システムの安定性に対する強い懸念がベースとなっていた。

また『ロンドンーエコノミスト』誌などは、早くも九〇年コー月、わが国の金融システムがいかに不安定な状況にあるかについて、大特集を組んでいた。一方、株式市場では銀行が抱え込むことになった不良債権の規模についての憶測や、付随する悪影響についての不安感が漂いだしていた。この漠たる不安心理は、株価が下落すればするほど、一段と強められることになった。