悲劇のクライマックス

光通信は足下からの反乱も起きた。二〇〇〇年五月の連休に光通信の一〇〇%子会社、光通信キャピタル(HTC)でクーデター未遂事件が勃発したのだ。HTCは九九年七月に発足し、第一号ファンドは約三百三十億円を集めた。野村証券から人材を大量にスカウトしてHTCを設立したが、光通信の『寝かせ』などの不正が発覚したことにより、HTCの信頼が揺らぎ、ファンドの資金がまったく集まらなくなった。

投資会社に資金が集まらなければ開店休業と同じ。仕事ができない。そこで松田広・元副社長(最高投資責任者)ら野村OBがMBO(マネージングーバイーアウト=経営者や社員が会社を買収して事業を継承すること)を画策した。HTCから光通信の生え抜き組を追い出すクーデター劇たった。しかし、重田社長が動きを知るところとなり、返り討ちにあった。五月の賃金交渉の面談で、クーデター首謀者はクビを宣告された。こうしてクーデターは未遂に終かったのです」(光通信の冗幹部)

HTCの元幹部も重い口を開いた。「野村証券の入社五年目程度の若者を次々と採用して、彼等に週二件の投資先開拓のノルマを課した。新人に毛の生えたような若い証券マンにベンチャー企業の目利きができるわけがない。彼等が決めた投資案件のはとんとは紙クズ同然でしょうね」

「重田は光通信キャピタルの第二号、第三号、第四号の二つのファンドで合計二千億円の資金を集める計画だった。二〇〇〇年二月中に国内で五百億円、米国で八百億円、合計で千三百億円の資金を集め終わったと、重田は公言していたが、『文物春秋』による光通信疑惑報道が公になったことから、三月一日のファンド契約日の直前に、契約のキャンセルの電話が鳴り続けた。口約束だけだった米国分(八百億円)はすべてがパー。一円も集まらなかった。国内分五百億円)のおよそ半分の二百三十五億円か集まっただけでも良しとしなければならない状況だったのだ。だが、重田は一一百億円程度では満足しなかった」(光通信の元幹部)その後の株暴落と光通信本体の企業イメージの悪化で「新しいファンドの設定は事実上不可能になった」(外資系の大手投資銀行の幹部)。

重田の永年の夢だった株式投資事業の先行きを占っておく。HTCは新しいファンドの設定がないと、資産(残高)をどんどん食いっぶしていくことになる。残るのは、野村OBの若手が目をつぶって投資したとしか考えられないようなボロ株と、既に倒産した会社や倒産予備軍の企業の株券だけになる。投資先のベンチャー企業の株式を公開して、高い株価をつけて、キャピタルゲインを得るという重田の「時価総額極大化」経営は、HTCの惨状を見る限り、完全に破綻したといえる。HTCは機能を停止した。

銀行、取引先、社員からも見放されて、重田は文字通り四面楚歌だ。身売り説、社長辞任説も飛び交い、剣が峰に立だされているが、地獄を見るのはこれからだという。ニ〇〇〇年二月の高値(二十四万一千円)から六ヵ月目の八月を切り抜ければ大丈夫といわれているようだが、二十四万一千円で買った投機筋が追い証を払ってまで光通信の株を持ち続けているとは考えられない。株式がらみの借金の清算月は三月、九月、十二月。九月に小康状態を保っても、十二月には悲劇のクライマックスが来る」(ネット証券会社の経営内容を良く知っている外国系証券会社のアナリスト)